施福寺(西国四番札所)

ご詠歌
みやまぢや、ひばらまつばら、わけゆけばまきのをてらに、こまぞいさめる


 槙尾山 施福寺は西国四番札所で、西国三十三札所の中でも参道が険しいことで有名ですので、参拝される方は山歩きの服装・履物で水筒持参で行かれることをお勧めします。

交通(最寄り駅など)

お寺には駐車場があるので、車での参拝がいいです。
駐車場からお寺まで山道を登ります。

施福寺の境内

施福寺の境内

 欽明天皇の勅願をうけて、聖行満上人が弥勒菩薩をご本尊として7世紀はじめに開創されました。


 役の行者小角が書き写した法華経(八巻)のうち巻尾をここに納めたことから、”巻きの尾”と呼ばれるようになったそうです。
 この地方(和泉国)出身の行基菩薩もこの山に登り修行します、この間に行基菩薩は文殊菩薩を安置したと伝えられます。


 平安時代になると弘法大師が現在の愛染堂で仏門に入ったとされ、このとき剃られた弘法大師の髪の毛が御髪堂に納められています、また弘法大師は虚空蔵堂で求聞持(ぐもんじ)法の修行をしたとされています。
 資料によると”弘法大師が20歳くらいの時に求聞持法を勤操(ごんぞう)という方から授かったのかも知れない”とされており、その場所がここなのかもしれません。
 当サイトでご紹介している”高貴寺”でも弘法大師はこの修行をしたとされています、ちなみに求聞持法とは虚空蔵菩薩のご真言”ナウボウ・アキヤシヤ・ギャラバヤ・オムアリキヤ・マリボリ・ソワカ”を100万回唱えるというものです。


 平安中期の花山天皇が3番札所である粉河寺からここへ来る途中で道に迷うのですが馬の嘶き(いななき)に導かれ施福寺に到着します、このとき花山天皇は馬頭観音のお導きと感謝し、施福寺に馬頭観音を安置します。
また、このときご詠歌である歌を詠まれたそうです。


 江戸時代の初期には970の坊舎が峰や谷に立ち並んでいたそうですが、天正9年(1581年)織田信長によって火を放たれてしまいます。
 でも慶長年間には豊臣秀頼によって再興され80余りの坊舎が立つまでに回復します。
(仁王門はこの豊臣秀頼の寄進)
 しかし今度は山火事に合い仁王門以外のほとんどを焼失してしまいますが、浄財を信徒から募り再建され現在の姿になりました。

施福寺の境内
施福寺の境内
施福寺の境内

施福寺