弘川寺

天智天皇4年(665年)に役小角(えんのおづぬ)が32歳のときに草創し、白鳳5年(677年)に天武天皇の勅願寺になり寺号に”龍池山 弘川寺”を受け、金堂・講堂・宝塔・鐘楼などができます。


 また、1.瑠璃水・2.隠水・3.三天水・4.赤龍水・5.白龍水の5つの霊泉があるそうです。

交通(最寄り駅など)

お寺には駐車場があるので、車での参拝がいいです。

弘川寺の境内

弘川寺の境内

 天平9年(737年)に行基がここのご本尊からの霊応を感じ、一夏の間 ここに滞在します、弘仁3年(812年)には弘法大師が嵯峨天皇の命により伽藍を新しくして中興し、三密の教法を修練します。


 他に後鳥羽院上皇が病気になったときに空寂上人がお祈りしたところ病気が治り、ここ弘川寺に後鳥羽院上皇が来られて”山深みこのはの下の隠し水なかれの末は滝つ瀬の音”と詠みます、また西行上人(歌聖西行とも呼ばれます。)は晩年に空寂上人を慕ってここに来られ、”願はくは花のもとにて春死なむそのきさらぎの望月のころ”と詠み、その通りに1190年2月16日にここで亡くなります。

(現在も桜が多く、春はきれいです。)


 このお寺も南北朝時代には楠木氏の戦場になり、戦国時代には寛正4年(1463年)の4月15日に堂塔を戦火で焼失してしまいます。


 享保17年(1733年)に今度は西行上人を慕って、当時和歌で名が知られ今西行と呼ばれていた歌僧似雲法師がここに庵(花の庵)を建て住みます、この似雲法師は広島の方で姓を松井とおっしゃるそうです。
 このお寺には西行上人・似雲法師の庵の後があり、両人の古墳が残っていますが、西行上人の古墳は似雲法師が石山寺の普門大士に祈り、霊感を得て占いによって見つけたとされています。

弘川寺の境内
弘川寺の境内

弘川寺