宝珠峯山 河 合 寺(真言宗御室派)


普段は拝観できません。
境内の説明によると
643年ごろ、この辺りの山々に五色の雲がたなびき、不思議に思った皇極天皇が蘇我入鹿に付近を調査するように命じます。
 結果、光が差している松の大木の根元から金色に輝く千手観世音菩薩像が現れ、驚いた皇極天皇は蘇我入鹿に再び命じて、ここに本堂を建立し千手観世音菩薩像を祀らせたのが河合寺の始まり。
 このため特に天智天皇は藤原鎌足に命じて宝塔1基を建立し、国家安全を祈念するなどその後の天皇から信仰を集め、931〜937年頃には塔頭24坊がそびえ河南の3大名刹(観心寺・金剛寺・河合寺)として栄えます。
 しかし南北朝時代に河合寺は南朝側につき、1348年楠木正行が戦死することを境に、足利氏に攻め入られ大伽藍を1夜で焼失したり、織田信長に寺領を没収されるなど衰微してしまいます。
 その後1596〜1615年豊臣秀頼、狭山藩主北条氏などが再興をはかりますが、元の姿には戻りませんでした。


 現在は桜の名所(大阪みどりの百選)として知られるようになり、桜の季節は多くの人がここを訪れます。
 また周囲は府営長野公園河合寺地区になっています。